「第1回 明大カップ」開催
最終レースでトップフィニッシュを決めた〈男道〉
前日に決定した大会開催
第1レースのスタート このイベントの目的は、普段インカレ種目である470級やスナイプ級といった2人乗りのレーシング・ディンギーにしか触れる機会のない現役部員に対し、幅広いセーリングの経験をしてもらいたいという、石丸監督の意図で企画されたものでした。
当初は、3艇借りたセーリング・クルーザーのうち、1艇を新入部員勧誘のために使用し、残りの2艇で現役部員による「葉山~城ヶ島~葉山」という、ワンデイクルージングを行うものでしたが、前日の6月12日に、参加を予定していた新入部員候補の参加が急遽不可能となってしまいました。
そのまま、当初の予定通り3艇でクルージングを行うという選択肢もありましたが、せっかく3艇のセーリング・クルーザーがあるのだったら、レースを行った方が現役部員たちにとってはいい経験になるし、現場も盛り上がるだろうという思いつきで、前日の夜に急遽開催決定となったのが「第1回 明大カップ」です。
帆走指示書も前夜の作成
大変だったのはいきなりの大会開催ということで準備に追われた現役の部員たちです。帆走指示書(sailing instruction)も前夜のうちに作成し、人数分プリントアウトして準備しました。実は、「明大カップ」という大会名も、このとき現役部員たちが決めたものです。ちなみに、もっとも時間がかかったのが、チーム名の決定のようです。
下里OB会長から手渡される優勝杯の「小便小僧型の水差し」 OBやOGも大会の準備に追われました。文字通り東奔西走したのは、久保田GM代行(S.57卒)です。当初は、当日の現地集合だったのが、レース開催のために早朝から八景島の合宿所まで車を走らせ、マークなどの運営機材をピックアップしてから葉山へと向かうはめになりました。
さらに、「明大カップ」という名前になったはいいものの、肝心のカップなどあるわけもなく、「何か適当なものを見つけてきて」という監督要請を受けた久保田GM代行は、会社のビンゴ大会用にストックしてあった「小便小僧型の水差し」を、まさに押っ取り刀で駆けつけたのでした。かの伝統ある「アメリカス・カップ」のトロフィーも銀製の「水差し」ということですから、その顰みに倣って、という意図が久保田GMにあったかどうかは、定かではありません。
第1回優勝艇は〈男道〉
1位 〈男道〉 チーム分けは1年生のセレクション(スポーツ特別入試)部員3人を除く全部員を、戦力が均等になるように配分し、それぞれのチームにインストラクターとしてOB/OGが2人ずつ乗るという布陣で行いました(1年生のセレクション部員は、今回は大会運営にまわりました)。
大会は全3レースが行われ、2レースを終えた時点で3チームが同点に並ぶという白熱した展開となり、最終レースでトップフィニッシュした坂上主将率いる〈男道〉が優勝しました。
2位 〈ブラック・サンダー〉石丸監督の感想は、「セーリング・クルーザーに初めて触るという部員が大半だったにもかかわらず、きちんと操船できていたことに驚きました。60歳オーバーのOBと、18歳の1年生がいっしょに愉しむことができるのがセーリングというスポーツの素晴らしさです。一番伝えたかったこのことが、きちんと伝わったみたいなので、今大会は大成功だったと思います」。
3位 〈ロワイヤル・ブガッティ〉 第1回大会を無事成功裏に終えた「明大カップ」は、来年以降もこの時期に開催していくことが決まりました。新歓のメンバーが揃わないという、なんともマヌケな理由から始まった大会ではありますが、明治大学体育会ヨット部の歴史のメインストリームに刻まれるようなレガッタに成長していくのかもしれません。
正式な優勝杯は、木工を特技とする下里OB会長が次回大会までに自作し、寄贈されることが決まりました。小便小僧型の水差しも、久保田GM代行のハートを次代に伝えるため、副賞として受け継がれていくことになりました。
第1回 明大カップ
2010年6月12日、神奈川県 葉山沖
優勝:〈男道〉 1-3-1位
坂上佑真④、高野美穂③、間宮正貴②、森雄馬①、上井智大①
井藤学(S.57)、横山和彦(S.57)
2位:〈ブラック・サンダー〉 3-1-2位
小林遼平③、榊原豪③、山口紗生②、福永和裕①、知念夢子①
石丸美智代(S.53)、野村亘(90)
3位:〈ロワイヤル・ブガッティ〉 2-2-3位
桐生直幸④、佐々木絢也③、高橋舞②、安田隆一郎①
古屋義博(S.44)、久保田謙治(S.57)、中島慶(08)