危険なスポーツではありませんか?
いきなり台風のような強風が吹いたら、ヨットは転覆してしまうんじゃないですか? そうしたら乗っている人間はどうなるんですか? そのまま遭難して海の藻屑になってしまうのですか?
創部以来、遭難事故はゼロです。
体育館やグラウンドのように、人工的な施設の中で行う競技と違い、その日の天候によって海というフィールドはまったく表情を変えてしまいます。このような海という人智の及ばない大自然の中で行うセーリング競技に、まったく危険が伴わないと言うことはできません。
しかし、考えてみてください。例えば、飛行機という乗り物は数千mもの上空を飛ぶという時点で、とてつもない危険をはらんでいます。しかしながら、何重にも張り巡らされた安全システムの充実や、航空運輸に携わるスタッフの技術的習熟などによって、旅客機で事故に遭って死亡する確率は、その辺の道を歩いていて交通事故に遭う確率よりも遙かに低くとどめられています。つまり本来大きなリスクを伴う飛行機という乗り物を、システムによって安全に航行させているわけです。
セーリングも同じです。本来、危険を伴うセーリングという遊びを、古今東西(主に西欧諸国)の人々が知恵を絞って安全に楽しむためのノウハウを蓄積してきてくれたおかげで、私たちはリスクを十分にヘッジした上でセーリングを楽しむことができるのです。
大学ヨット部という日本独自のシステムも、そうしたノウハウの一つといえます。本学ヨット部は、創部以来一度も死亡事故を起こしておりません。しかし、それは死亡事故が起こる確率がゼロだということを示すものではありません。セーリングという遊びを楽しむ以上、遭難や死亡事故が起こるリスクと隣り合わせであるという意識を常に持ち続けることが、創部以来の誇るべき伝統を受け継ぐ最も確かな道筋だと考えています。
ヨットは「日常的に」転覆します。
2009年全日本インカレの1コマ フェリーボートや遊覧船が転覆したとなれば、それは間違いなく大惨事ですが、大学ヨット部で使用している競技用ヨットは「日常的に」転覆します。右の写真は、2009年の全日本インカレのものですが、このとき急激な突風が吹き付けたため、レースをしていたヨットは一気に吹き倒されて転覆してしまったのです。なんか、この絵ヅラを見ていると、とんでもないことが起こっているように思えますが、ヨットレースではそれほど珍しいことではありません(これだけ一度に多数が沈することは珍しい)。
ヨットが転覆することを、専門用語では「沈」(ちん)といいます(英語では capsize )。実際に沈むわけではないのに、どうして「沈」という字をあてたのか不明ですが、1人乗りや2人乗りなどの小型ヨットではよくあることです。470級やスナイプ級などのレーシング・ディンギーには、エアタンクといって水が進入しない気室が装備されているため、沈をしても沈むことはありません(なんだか禅問答のようになってしまいました)。ですから、ヨットが転覆しても、再び起こして再帆走することができます。この写真も、選手たちは1秒でも早くレースに復帰するため、必死でヨットを起こそうとしているところです。
危機回避能力が磨かれます。
人間の力ではコントロールすることのできない大自然ですが、そのメカニズムを学び、常に最新の情報をアップデートすることによって、私たちはある程度の予測を立てることが可能です。
合宿中のヨット部員は、前夜の天気図を入念にチェックすることで、翌日の海の状況を予測し、場合によっては練習メニューの修正を行います。天気予報といっても降水確率くらいしかチェックしなかった人間が、ヨット部に入り、気圧配置と実際の天候の推移に気を配るようになり、あらゆる気象状況に何らかの兆候があることに気づきます。それこそが、セーラー(船乗り)としての第一歩なのです。森羅万象から発せられるメッセージを、自らの感覚を研ぎ澄ますことで感知し、予測される危機を回避する行動をとる……これは本来、動物としての人間が持っていた能力です。
また、体育館やグラウンドで行うような競技であれば、それこそ立てなくなるくらいまで練習で自分を追い込むこともできますが、海の上で行うセーリングの場合、最終的には自力でハーバーまで帰港するだけの体力を残しておかなければなりません。このように、高度な自己管理能力が要求されるのも自然相手に行うセーリングという競技の特性です。
セーリングというスポーツは、こうした人間のプリミティブな能力を呼び覚ましてくれます。それは、セーリングが危険を伴う行為だからです。